ゴーンとストーン・ケースにみる逮捕勾留・保釈に関する相違

 2018年11月19日午後,カルロス・ゴーン元会長はプライベート・ジェット機で羽田に到着した際,待ち構えていた東京地方検察庁特捜部の検察官に令状逮捕された。被疑事実は有価証券報告書への役員報酬の過少記載(虚偽記載)であり,これが金融商品取引法違反にあたるとされた。検察官が逮捕した場合,検察庁に付属する留置施設がないため,逮捕後の身柄拘束は小菅にある東京拘置所で行うことになる。また取り調べも原則として同拘置所内の取調室で行う。
 逮捕後勾留請求までの時間制限は,警察官による逮捕と比較すると,24時間短くなり、検察官は48時間以内に勾留請求か、起訴かあるいは釈放するかを選択しなければならない(刑訴法204条)。本件を含めて多くの場合,勾留請求となる。これを裁判官が認めると,最初の勾留は10日間,次に10日間延長される。こうして,特捜事件では,被疑者は特定の罪を除き(同法208条の2),起訴前に22日間,身柄拘束されることになる(同法208条)。その間,日本には起訴前保釈制度はないので,被疑者が拘禁施設外で生活するには,準抗告が認められたなどの理由で勾留が取り消されるか停止され,釈放となる他に道はない。
 ゴーン・ケースでは,検察官は,最初の逮捕・勾留期限近くに同種事実を年度により分割して再逮捕・勾留を行い,さらにその勾留延長請求もしたが,これは却下された(ここで却下という裁判所の判断には一貫性がないとの疑問が残る。それならば、2回目の再勾留自体を認めるべきではなかったからである)。そこで検察官は会社法上の特別背任罪を付加して再々逮捕・勾留を行うという,取り調べ時間を長引かせるための常とう手段を駆使して,起訴前勾留の長期化を計った。
 起訴後は,検察官の請求に基づく勾留から裁判所が直接行う勾留に移る。期間は,最初は2か月で,原則として1か月ごとに何回でも更新できるので(同法60条),裁判が終わるまで長期にわたることがある。そのため,保釈制度が設けられている。しかし,否認事件では,通例,公判で検察官立証が終わるまで,あるいは公判整理手続が行われる場合には,ここで検察官提出予定証拠が固まるまで保釈されない
実際,一貫して被疑事実を否認し続けるゴーン元会長は,逮捕からほぼ70日を経過(2019年1月28日現在)しても,保釈の見通しは立たない。
こうした日本の被疑者・被告人に対する身柄拘束のあり方の問題点は,ゴーン・ケースをストーン・ケースと比較すると見事に浮き彫りとなる。
 第1,前者では,逮捕は捜査の開始にすぎず,勾留は取り調べるための手続であり,そこで被疑者が被疑事実を自認して事件の全貌を調書に残すことが迫られる。このような自白中心の考え方が,戦後も依然として裁判官や検察官の多くにあることが起訴前保釈の法制化を妨げる大きな要因の1つになっている。
後者では,逮捕は,捜査の終結であり,逃亡を防止するためのものである。したがって,大陪審が起訴する事件では,それまでに起訴=公判請求するに足る十分な証拠(状況証拠)がすでに収集されているので,逮捕が起訴後に行われることがよくある。
第2,前者では,逮捕・勾留がワン・パックとなっており,警察官が逮捕した場合には,23日間の身柄拘束が普通であり,この間,保釈の制度はない。
後者では,逮捕の時から保釈等が始まる。保釈以外にも被疑者・被告人に社会生活を営ませながら公判期日の出廷を確保する制度が工夫されている(詳しくは,拙著「アメリカの刑事司法」(弘文堂)107頁以下参照)。ストーン・ケースでは,彼は早朝に逮捕されたが,すみやかに逮捕後最初の審問が行われ,ここで保釈条件が決められて夕方には保釈されている。
第3,前者では,保釈に関する決定は,審問=当事者訴訟の形式では行われず,普通,裁判官が個別に検察官と弁護人の意見を聞いて行う(面接=個別に電話のことが多い)が,裁判官は検察官の意見を尊重する傾向がある。
後者では,原則的には公開の審問法廷(ただし,逮捕直後に行われる最初の審問などでは,ジェイル内の施設やテレビ会議のような形で行われることもあり,非公開のこともある)で,裁判官をはさんで当事者(被疑者・被告人及び弁護人と検察官)立会いの下,当事者訴訟の形式で行われる。
第4,前者では,起訴後保釈について,否認事件の保釈を妨げる大きな要因は,「罪証を隠滅するおそれ」(刑訴法90条)にある。裁判所は,その程度をきわめて低く解している。共犯事件で否認している場合,往々にしてそれだけで早期の保釈は認められない。裁判所はそれが具体的にいかなるものなのかを弁護人に示す必要はない。
後者では,そもそも「罪証隠滅のおそれ」は保釈を許さない理由にはならない。逮捕・勾留は公判廷への被告人の出頭を確保するためのものだからである。しかも,「逃亡のおそれ」があったとしても,裁判所は,それを防ぐのが保釈保証金であるから,できるだけこの金額を上げることによりその可能性を低くして保釈を認めようとする。
したがって,後者で,保釈が認められないのは,死刑や無期など重大犯罪の場合を除くと,テロやDVなど社会や個人に具体的な危険性を及ぼす場合に限られる。
以上の他にも,保釈に関する日米の相違はいくつか挙げられるが,もっとも大きな相違は,刑事訴訟における「無罪推定の原則」(Presumption of Innocence)に対する理解の程度にあると考えられる。有罪・無罪を決めるのは,警察官や検察官ではなく,裁判官である。したがって,それが決まるまでは,被疑者・被告人も無罪と推定され,人としての尊厳と基本的人権を享有し(憲法11条,13条),原則として,普通の日常生活を営む権利を有するのである。その原則は、法の適正手続(Due Process of Law)の保障の一部であり、日本でも憲法31条の規定するところである。(アメリカ法の考え方や保釈などの具体的手続について,詳しくは前掲書参照)。